プロフィール
ココでは少し詳しく、私のプロフィールを書かせてもらいます
お付き合い頂けたら これ幸い
1980年生まれ 山口県出身 本名 山田 未和
- 1986年 地元の小学校に入学(小学1年で空手を始める 兄の影響)
- 1992年 そのまま地元の中学校に入学(全然面白くない学校生活だがサボる理由浮かばず真面目に登校)
- 1995年 地元の高校ではあるが寮生活(空手の特待生)
- 1998年 愛知の洋裁の習える短大に入学(ここでも空手部入部)
- 2000年 地元に帰り実家暮らし バイト生活
- 2009年 洋裁をもう一度習いたいと思い家の仕事(スーパー)をしながら他県に習いに行く
- 2011年 洋裁学校卒業 実家の仕事をやめて縫製業(バイト)傍らオーダーシャツ屋をやる
- 2013年 バイト先が倒産 実家の仕事を手伝いながら縫製業 イベントに出てシャツのオーダーをもらってくるという仕事
- 2014年 34歳 結婚 大阪に引っ越し(縫製業を続ける)
- 2015年 1人目 女の子出産
- 2017年 2年目 またもや女の子出産
- 2019年 3人目 またまた女の子出産
- 2020年 旦那の田舎暮らし希望で私の地元に移り住む(縫製業は一旦お休み)
- 2021年 離婚 いろんな事情があり家を購入 子どもと4人暮らし
- 2024年 父の死去を機に自分で稼げる力をつけるためブログ開始
子ども時代
小さい時から、好奇心旺盛だけど恥ずかしがりやで目立つことが 大嫌い な性格
今でもその辺は変わらず・・・・
小学1年生からずっと「空手」をしていて(近所に歩いて行ける習い事だったから)
小学2年で全国大会で2位!!!!小学6年の時は地元で全国大会があるという事でものすごく頑張らされた記憶が・・・そのかいあってか優勝できた!!!
うちの親(とくに母)は賞状やトロフィーなんかに執着がないため 会場に忘れることもよくありましたよ((笑))
空手をやっていたせいなのか 学校では活発な元気な子 みたいな判断されていたが 本人あまり嬉しくは思っていませんでした
中学は学校自体があまり好きではなかったが サボると言う勇気もないので 毎日真面目に登校
面白くない中学生活でした
高校は空手の強い高校に進学 空手の成績もまぁまぁ・・学校生活は楽しく過ごせました
成績はまぁ中の上くらい。。上の下の時もあったかなぁ・・・そんなかわらない((笑))
そして短大は 愛知県まで行き洋裁と空手が出来る環境に行きました
まぁいきなり都会に来ちゃったもんだからいろんなことにショックだった覚えが・・
私の住んでいたのは「豊田市」だったんだけど 結構治安の悪い駅だったじゃないのかなぁ
そんな時代でもあったのかもしれないね
例えば 多分シンナーを吸ったキティちゃんのお揃いの「はんてん」を着たカップルが手を繋いで猛ダッシュで追いかけてくる!!とか・・
空手の先輩に飲み会に誘われ家について入ろうか思ったら階段の下にまたまたラリった男 2人!!
私に向かって「お前は何組のもんじゃい!!」といちゃもん付けられて・・
何組ってなに??全然意味がわからず・・・突っ立っていたらもう一人の男に
「おい!ナイフ持ってこいや!!」と言ってバイクの座るとこからナイフ持ち出してきて
「えっ!私何かした?殺させるの?」と思ってたら先輩がすぐに助けに来てくれて
まぁ~先輩は扱い慣れてて「何組でもないねん 空手部やねん 何か文句ある?」(関西弁)っと
言ってその場が収まる と言う たいして強くもない男にビビッていたことに後から恥ずかしくなる
空手部の先輩(男3人)は大阪や東京でも空手の名門校だったので強かったと思いますし
実際 シンナー吸った男などもはや私でも倒せたかもと今では思う
洋裁の話でした・・🤣
短大で本格的に洋裁を習うようになってそれが結構大変でしたよ
自分の原型作りやパターン展開して好きな洋服を作ったり
企画縫製書の作り方・・・・デッサン・・デザインして自分の作りたい洋服をまずは原型から
パターン展開直して作ってまた訂正して仕上げて訂正の繰り返しで完成したと思ったら
次はこれを世の中に出すために縫製所に出すための縫製書作り・・・・・
まぁなんとなし無事卒業できました
社会人
実家に帰り、家業(スーパ―マーケット)を手伝いながらやりたいことやって行きたいとこに行って
洋裁の方は自分でいろいろ遊びがてら 父の原型パターンを作って展開してカジュアルシャツを作ったり
母や母の友達、兄、自分 作りたいものを自分でパターンを起こして縫うというその繰り返しをしていましたが
29歳の時 これは今しかないと思い仕事をしながら休みの日は隣の県(福岡)に洋裁(縫製)を習いに行きました
朝6時前に出て行ってバスに乗り 帰りは家に着くのは10時半とか・・・
それでも習うのが楽しかった 若いからできた!!
そこを卒業して 縫製業に就こうと思うがこの時代 縫製は中国に任せるような傾向があって
でも手に職をつけたいと思い いろんなところ受けました 岡山の「KAPTAL」とか 金沢のどこだったか(オーダーシャツやさん)・・・
やっぱり今までどこかに縫製経験があるのなら違っていたかもしれないが就職先はなく
地元のカーテン縫製(内装屋さん)に就職 ここでは内装を主にオーダーで縫製する仕事でした
変わった形のカーテン お金持ちの家にあるフリフリカーテンを縫ったり
ソファーカバーの縫い替え 一日クッションカバー300枚縫うとか かなり楽しいものを縫わせてもらいました
当時教えてくれた方は厳しく 一針(0.8㎜) 間違えるだけでやり直し!の繰り返しでした
そのおかげで 縫うことに自信がついた気がします!!
それと同時に自分で「オーダーシャツの受注発注」をやり始めました
イベントに出て オーダーを取ってきてお客様に送る そんなことを結婚するまでやっていました
シャツばかりではなくブラウスやカフェエプロンなんかも作ってきました
結婚してからは 個人で今までやっていた内装縫製の仕事を続けていました
私にとって縫製の仕事はひとつの「ストレス発散」になっていました
すぐに子どもの授かり それでも休みことなく仕事をしました・・・
背中におんぶしながら縫い続けました(お金のため!!)←事情が大あり
ずっと大阪で暮らすものだと思って家も探していたが 旦那さんが田舎暮らしをしたい!と
言うことで 私の実家の近くに家を購入‼ 結局や帰ってしました
大阪の時でもいろいろありましたが 山口に帰って私も気が大きくなったのか!?
帰って1年して離婚 調停1年かかって離婚成立 当時は朝起きたら 旦那さんからの嫌味メールが
つらつら書いてありそれを読むのに吐き気がするくらいキツかった
今は自分の家も購入(事情があり母名義ではありますが)子どもと4人で楽しく女だけ暮らし♡
田舎の家なので安いのに広い 古いけど快適!自分の洋裁する場所もあり 友達とワイワイする場所もあり
休みの日に子どもの友達10人近く集まることもできて 古い家なので少々暴れられても平気!!
何よりお金はないけど自分の意志でできる!旦那さんに気を遣うようなこともないのでストレスなし!
そんなこんなでいろいろなことがありましたが、やっとこさ こうやってブログでもやろうかなって
気になれただけでもよかったと思える日が来たことに感謝
これから洋裁のコト 子育てコト 配信していこうと思います